ここ夏文庫
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桜 -終-
夏。

詩織は人でごったがえしの成田空港出発ロビーに居た。

オリンピック観戦客で出国も入国も時間がかかる、と言われている。

そんな中、詩織たち一団は海外ロケを敢行しようとしていた。

TシャツによれよれのGパンを履き、赤いブラウスを腰に巻いて

詩織は仲間が到着するのを待っていた。

混んでいるからと集合時間が出発2時間前になっている。なのに

案の定、ちゃんと着いているのは詩織も含め、3人だけだった。



あーあ。昇ってくるエスカレータを恨めしそうに眺めながら

詩織はため息をついた。全員が揃うのはまだまだ先だな。



隅にあるコンビニで飲み物を買うと、詩織はロビーの椅子に腰を

おろした。椅子は窓の外に向けて設置されていて、蜃気楼にゆれる

滑走路が見えた。大きな飛行機が荷詰めをしている。

椅子の横に大きなスクリーンがあった。白い雲の上の真っ青な空を

飛行機が飛んでいる。ああ、パイロットはこんな景色を見ているの

かなぁと思いながら、お茶をひとくち。



と、画面がフっと変わった。突然画面に飛び出したのは、あの

白川の合掌造り村落であった。仮タイトル「ようこそ、日本の美」、

NHK-EPの田辺が造った番組である。

詩織は飲み物を膝の上に抱えると、スクリーンに体を向けた。



合掌造りの村。4階建てにもなる家を、スクリーンは遠くから近くへ、

そしてまた遠くへと流れるように映している。

それは詩織が実物を見たときと寸分違わず、鮮やかでたくましかった。

村の人たちが集まってくる。どんどん、どんどん集まって来る。

小学低学年くらいの男の子と女の子が、大人たちの中をはしゃぎながら

走り回っていた。

集まった人たち、たぶん村中の人たちが一軒の家に集まる。

すると半数近くの人が屋根に昇って、茅を落とし始めた。

「あ、屋根の葺き替え!」

詩織が民宿で聞いた通り、とても多くの人たちが皆で屋根の葺き替えを

している。屋根の勾配はきつかった。大変な作業である。

映像は無声ビデオの仕様だったはずだ。なのに画面からは、大人たちが

声をかけあって茅を掛けている様子が、子供たちが辺りを走りながら

大騒ぎをしている様子が聞こえてくるようだ。

「大工さんが葺き替えるんじゃないんだ。ただの人があんなに集まって」

画面がまた変わった。

今度は村中が水びたし。放水ポンプを一斉に開けたのだった。

勢いよく飛び出す水が、まるで一番高い屋根の上にまで届きそうだ。

ここでも大人たちが呼びかけあっている声が聞こえるようだった。

今度は真っ赤なほっぺのおじさん。

杯を持ってにっこにこ。あっちにもこっちにも、杯を持った人たちで

境内はいっぱいである。

「ああ、これが『どぶろく祭り』なのね?」

詩織は独り言。

子供が大人から升を受け取って、匂いをかいで恥ずかしそうに升を

返した。大人が笑っている。子供はぴょんぴょん飛び跳ねた。

彼らも大人になったら、酒で頬を赤く染めて大笑いをするのだろうか。



それから村は冬の景色になった。雪がふりしきる。

合掌造りが雪に埋もれていく。

そのとき、詩織は画面右下に小さく映像のタイトルとNHK-EPの

ロゴが入っているのに気が付いた。タイトルは

「守り継ぐ日本の美」

詩織ははっとした。善文の番組は合掌造りや町並を映しているんじゃない。

そこで「生きている」人たちを映しているんだ!

映像の中では、囲炉裏を囲んだ人たちが居る。子供たちは囲炉裏端に

寝転んで、二人で何事か話している。内緒話をしているのだろうか、

時々口を抑えて、くすくす笑っている。

外は雪。



これが善文の見た白川郷なのね?

「残された美」なんかじゃない、白川郷なのね?

時代に取り残された村なんかじゃない。同じ時代を自分たちのスタイルで

生きている人たちの姿なのね?

「残し」たいんじゃない。自分たちのスタイルを守りたいんだ。

そして次の世代へ「継いで」いくんだ。それが白川の「世界遺産」なのね?

詩織は涙がこぼれそうになるのを必死でこらえていた。

善文の「残された」を何度も消したあのタイトル文字が思い出される。



厳しい冬の中、ライトアップされて神々しいまでに青く輝く荻町が

映し出された。幻想的だった。まるでガラス細工の中に入ってしまった

ようである。しかしここでも、善文は二人の子供の姿を追っていた。

そして雪解け。

小さな川が生まれる。ふきのとうが顔を出す。白川の村に

「色」が帰ってきた。

桜? 濃いピンクでぽっちゃりとした花が咲いている。

合掌村落がバックに映っている。荘川桜ではないようだ。

ここでも二人の子供が楽しそうに走りぬけていく。ところが

女の子だけが桜の木の下に戻って来た。ピンクの花に向かって

何事かをつぶやいた。その口元とピンクの花がアップになった。

「え?」

詩織は驚いた。しかし驚きを確かめる術は無いように思われた。

画面がまた変わった。

今度は空撮である。岐阜から長良川に沿って、映像は北上する。

郡上八幡を通り過ぎる。荘川桜が花を残している。

さらに北上し、白川郷を通り過ぎ、五箇山まで行って

映像はホワイトアウトした。この空撮の間、画面の下にはずっと

エンドロールが流れていた。最後にNHK-EPと航空会社の

ロゴが流れた。

するとまた、先ほどの桜がディゾルブで現れた。女の子の口が

さっきの言葉を繰り返す。



「おい、佐倉、両替に行くぞ」

先輩社員が詩織を呼んだ。しかし詩織は椅子から立ち上がれなかった。

「ワ ス レ ナ イ デ、サ ク ラ」

女の子の言葉が画面に文字で表示された。

「ワ ス レ ナ イ デ、サ ク ラ」

そうして今度こそブラックアウトして番組は終わった。

「おい、さ・く・ら!行くぞ!」

詩織の頬を涙が伝った。忘れないで、さくら。忘れないで。

詩織は指先で涙をぬぐった。そして元気よく立ち上がった。

「忘れないよ、私も」



(終わり)



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この物語はフィクションです。実在の人物・団体・組織とは一切関係ありません
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【2007/12/29 17:24】 | 桜(白川郷編) | トラックバック(0) | コメント(0) |
桜 -6-
翌朝、善文は普段のきりっとした殿様に戻っていた。白いシャツに

黒の皮パン、揃いのベストを羽織っていた。

「おはようございます」

凛と響く声。

昨晩の独り言は寝言ではなく、本当に8時に白川郷を発つ予定らしい。



詩織は昨晩、骨酒の余韻に浸って眠った。

取材の資料も、番組のテーマも決められなかった。

まぁいいか、タイムスリップしたこの世界を満喫しておこう。

おのずとテーマなんて決められるはず。

そんな甘い考えのまま夢の中へと落ちていったのであるが、今朝になって

みると、テーマが絞れないのはさすがに痛い。



役場のかっちゃんが8時すぎに「かんじゃ」まで迎えに来てくれるという

ので、詩織は荷物を全部まとめて、囲炉裏を背に座っていた。

玄関の戸が開いていて、ぼんやり外を眺めていた。

善文が荷物を部屋から出して来て、詩織の座っている近くの柱の陰に

まとめて置いた。

「女将さん、すみません、僕、もう出ます」

奥に声をかけると、女将さんが愛想良く出て来た。

「五箇山までの道も細いから、気を付けてね」

善文は宿代を女将に手渡した。

「じゃ、荷物、運んじゃいますから」

そう言うと、三脚つきのカメラとビジネスバッグを持って、民宿の玄関を

出た。柱の陰にはコートと大きな紙袋が残っていた。



女将は玄関の外へ出て、善文の車の方へと歩いていった。

詩織は部屋に一人で居た。

すると、突然、バサバサバサという音と共に、善文の紙袋から何枚もの

紙が滑るように落ちた。そして順番もなにもめちゃくちゃに、辺りに

広がった。

咄嗟に拾おうと腰を浮かせた詩織は、はっとして立ち上がるのを止めた。

落ちたのは、善文の絵コンテだった。



一番遠くに飛んでいったコンテの右上の数字はNo.86。

拾うのをためらった詩織だが、それでもそれらを拾い集めた。

順番はめちゃくちゃかもしれないが、一番上にはNo.1のコンテがあった。



画面の描写は殴り書き。しかし映像番号とタイムコードがしっかり書き

こまれている。NHKは過去に収録したビデオを全部検索して観られる

ようにライブラリ化していると聞く。きっとその番号なのだろう。

善文はそれらを全部見て下見をし、目的をもって取材に来ているのだ。

10枚単位ごとに、ペラペラと中を見てみた。全部のページに、細かく

映像番号が記されている。しかし半分以上に、大きく×がしてあった。

×をしてある横には赤い文字で「新規撮影」と書かれたものもある。

詩織はもう一度、No.1のページをみた。下半分は×。

そして恐らく番組のタイトルであろうOP(オープニング)のコマには

「残された日本の美」という文字があり、そのうち「残された」の箇所が

何本もの横線で消されていた。

「なにしてるの」

詩織ははっと顔を上げた。

玄関を入ったところ、善文が詩織のすぐ前に立っていた。

「なにしてるの」

善文は再び言った。今度は前よりはっきりと、そして怒りのこもった声

だった。

「あ、あの、これ、下に落ちて…」

詩織は必死で説明しようとした。

「見たんでしょ」

善文の強い口調は変わらない。

「見たっていうか、拾って…」

「そういうこと、しない人だと思ってたよ!なんだか、がっかり!」

善文は詩織からコンテを奪い取ると、破れた紙袋に入れ、コートと一緒に

抱えるように外へ出た。

振り返らなかった・・・

女将が「気を付けて」手を振るのが見えた。そして白い軽が「かんじゃ」を

出て、道をまっすぐ下って行くのが見えた。

善文は…振り返らなかった・・・



2週間後。



部長のところへ営業がやってきた。

「決まったらしいよ、航空会社の『ようこそ、日本の美』」

「なんだ、うちじゃないのか?」

「違うよ。NHK-EPだってさ」

「EPかぁ」

コンペには結局8社が参加した。詩織ももちろん企画を練った。

郡上八幡から白川郷にかけて自然にあふれた日本の美をテーマに

しようと思ったが、善文の「残された日本の美」というタイトルが頭から

離れなかった。善文との別れ際の後味の悪さもあって、企画は頭の中で

こんがらがった。そこで結局、白川郷の美しさを切って貼って集めた

ような企画になってしまった。我ながら、最悪だと思った。

「落ちた原因は?」

「EPの企画が圧倒的に良かったんだって!」

「圧倒的?」

「そう。群を抜いていたって!」

「なんだ、そうか。予算じゃ負けるはずないもんなぁ」

部長は立ち上がって営業の肩をぽんっと叩いた。

「そりゃそうでしょう。今回は頑張ったもの!」

「悪い、悪い、珈琲でもおごるよ」

部長と営業は部屋から出て行った。

詩織はため息をついた。

はぁ… 同じ取材をしてるのに、やっぱり天下のNHK-EP様だわ。

ごみ箱の前まで椅子を持って行って「ようこそ日本の美」のオリエン

シートをちょきんちょきん、とハサミで切った。




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【2007/12/29 17:22】 | 桜(白川郷編) | トラックバック(0) | コメント(0) |
桜 -5-
お膳を向かい合わせにして、善文と詩織は座っていた。

若い女将がやってきて

「お酒はどうしましょう?」

と尋ねた。

「ビールはお一人様に一本おつけしますけど」

「あ。じゃあビールだけでいいです」

善文が即答した。

女将はお膳の横に置かれた冷えた瓶ビールを開けてくれる。

「どうぞ」

二人のグラスにビールが注がれたとき、善文と詩織はなんとなく

目を合わせ、そして

「お疲れ様でした」

とグラスを上げた。



囲炉裏をきってあった部屋の隣、天井のある部屋が食事処であった。

部屋のもう片隅には4つの膳が用意されている。客が他にも

あるらしい。

二人は会話らしい会話もなく、黙々と食事をしていた。

ほう葉の上では飛騨牛のさいころステーキがほどよく焼けてきた。

「ごはんお持ちしましょうか」

女将がおひつを持って入って来た。

「お二人は、お部屋、別々でよろしかったんですね?」

女将の問いに、詩織は飛騨牛を噛まずに飲み込むところだった。

善文は飲んでいた味噌汁を、もう少しで気管へと流しこむところだった

らしい。ごっほっと咳き込んだあと

「あの、僕ら、全然そういうんじゃないですから」

慌てて否定する。詩織も大袈裟に頷いた。

「あら失礼。東京からお二人だと聞いたもんで」

詩織は善文を斜め上目遣いでにらんでみせた。

善文は今夜も予約なしの飛び込み客であった。それが偶然にも

同じ民宿で、詩織のキャンセルし忘れも手伝って、女将を誤解させた

ようだ。



善文は詩織より早く食事を終えると、両腕を床に着いて天井を見上げ、

「思ったよりずいぶん温かいんですね」

と言った。

「ええ、囲炉裏に火が入るとね」

女将はお茶を煎れながら優しく笑った。

「壁と柱とか、黒いのは煤ですか?」

「そうです」

「部屋が煙たくなりませんか?」

「煙は上の方に上がってしまうでしょう?屋根の茅に煙がまいて

虫除けにもなるんです」

「へえ。この茅は、ずっと同じですか?」

「屋根は決まった順番に、村全員で葺き替えるんです」

「え、やっぱり葺き替えるんですか?」

「そうです。全員で。一日かけた、大作業です」

「ああ、そういえば、そんな記録ビデオを観たなぁ」

そんな会話を聞いているうちに詩織も食事を終えた。完食である。

「あの、『かんじゃ』ってなんですか?」

「屋号です」

「どういう意味ですか?」

「さあ、屋号の意味までは…」

女将は苦笑した。

「愛称みたいなもんですよね」

善文は女将に向かってにこにこして見せた。

詩織は思いついたことをすっと口にした。

「もっとモダンな家とか、住んでみたいと思ったことはないですか?」

「さあ。どうでしょうね」

女将はただ微笑むだけで、質問には答えなかった。



食事を終え、それぞれ部屋に戻った。とても静かだった。

テレビの音も車が通る音も、東京では当り前に聞こえる音が、

この部屋には…この村には全然無かった。

退屈なので囲炉裏端に行ってみようと詩織は部屋を出た。

囲炉裏には既に善文が座っていて、灰をくるくるとかき混ぜていた。

「あ…」

「こんばんは」

たった今会ったかのような挨拶をすると、詩織は善文とは違う場所に

腰を下ろした。

他の4人の客が着いたらしく、食事処はにぎやかだった。

4人が4人とも、Yシャツにネクタイを緩め、合掌造りを褒めていた。

女将はビールの追加を運びながら、楽しそうに笑う4人のおじさんの

相手をしていた。

「世界遺産登録を目指している地域が白川郷の例を聞きに来たんだって」

「ふうん」

詩織は興味がなかった。

世界遺産に登録されるというのは、そんなに名誉なことなのだろうか。

建物ひとつ改築できなくて、ますます時代に取り残されて行く。

それでも残したいのだろうか、この村を。



善文がぼぉっとしている詩織に向かって

「散歩に出ませんか」

「あ…」

特に断る理由も見付からず、詩織はそのまま上着も取りに行かず

夜の白川郷へ出て行くことにした。



「外はけっこう、冷えるんですね」

トレーナーは着ているものの、裸足の善文は寒そうにした。

「合掌造りって、よっぽど温かいんですね」

詩織も薄手のジャケットを前で合わせるようにして背中を丸めた。

「バス通りまで出てみませんか」

そういう善文のあとを黙ってついて歩いていたつもりが、

「きゃっ」

詩織は急に軟らかくなった土に足を取られた。あぜ道に落ちたようだ。

「大丈夫ですか?」

善文が詩織の腕を捕まえて通りに引き上げた。

「すみません」

詩織は急にドキドキしたのを善文に悟られまいと、すっと善文の手から

腕を下ろした。善文はあぜ道から上がった詩織に、もう一度

「大丈夫ですか?」

と聞いた。

「大丈夫みたいです」

「道の真ん中を歩きましょう」



車通りはほとんどなかった。都会の夜に目がなれた詩織には、白川の夜は

とても暗く感じた。空はまだ濃い青色を残しているのに、白川は山に

囲まれて、闇に沈んだようである。

「なんか、思っていた以上に何にもないですね」

善文が笑った。

「日が暮れたら仕事はおしまい、って感じですね」

遠くに近くに、影だけになっている合掌造りの家々は、それだけで生きて

いるようだった。昼間よりもずっとずっと大きく見えて、息をひそめて

二人を見詰めているように感じた。

「戻りましょうか」

善文は笑って言った。



「かんじゃ」に戻ると囲炉裏のぬくもりが二人を包んだ。

「ああ、あったかい」

善文が嬉しそうに笑った。

今気がついたのだが、善文には「かんじゃ」の入口は低すぎるようで

ある。なにげなくひょいと腰を屈めて入った善文の格好は、もう

何年も通い慣れた人のようだった。

公家でもここには来たんだわ。詩織はそう思った。



善文は囲炉裏端にあぐらをかいて座ると、寒そうに両手をすり合わせた。

通りかかった女将が笑う。

「外はもう冷えたでしょう」

「ええ、体がひえちゃいましたよ」

善文は小さな子供がみせるような無邪気な笑顔で

「すみません、酒、ありますか」

と女将に聞いた。女将も善文の笑顔に負けたのか

「イワナの骨酒でしょう?特別ですよ」

「すみません」

善文は悪びれもせず、ただ嬉しそうにニコニコしていた。

詩織もまた囲炉裏端に腰を下ろした。

「佐倉さん、酒、いける口ですか?」

善文の無邪気な笑顔が詩織に向けられた。

「ええ」

答えてからはっと気付いて取り消した。

「いえ、たしなむ程度です」

「ほっほっほ」

善文はまた公家笑いをする。

「イワナの骨酒は、酒好きにはたまりませんよ。一緒に飲みましょうよ」

酒を「たしなむ程度」なんてのは詩織の大嘘である。ぜひ、その骨酒を

ご相伴に預かりたいものだ。



女将は盆に2杯の骨酒を乗せて現れた。

本当に魚がグラスに入っていた。詩織が初めて見る酒だ。

「焼いた魚の出汁が、いい感じに酒に出るんですよ」

善文は女将から2杯ともグラスを受け取ると、一つを詩織に渡した。

燗だった。グラスに顔を近寄せると、焼き魚独特の匂いがした。

「お互いの成功のために」

善文は無邪気な笑顔のまま、詩織のグラスに自分のグラスをカチンと

当てた。



それから二人は囲炉裏端で他愛のない話に花を咲かせた。

ハイビジョンカメラを落としてレンズを割ったこと(善文談)。

地方ロケに水着を持って行ってみんなの前に曝されたこと(詩織談)。

ビデオ編集のとき、煙草の煙がすごすぎること(善文・詩織共通談)。

相手が天下のNHK-EPのディレクターであることも忘れ、詩織は

楽しい時間をすごした。時間の感覚すら忘れるほどに。



「ああ、酔ってきた。僕、酔うとすぐに眠くなっちゃうんですよ」

善文は囲炉裏端にごろんと横になった。肘枕をついて詩織を見る。

「今日、どこ回ったんですか?」

善文が真顔で聞いた。

「え、どこって」

「いいじゃないですか、それくらい」

また酔っ払いの顔に戻る。

「それじゃあ、先に田辺さんが答えてくださいよ」

「いいよ」

善文は左の手の指を折って

「商工観光課でしょ、教育委員会でしょ、白川郷観光協会…」

「また役場に行ってたんですか?」

「そうだよ」

「和田家や明善寺には行かなかったんですか?」

「ああ… 重要文化財ね… うーん、外から見ただけ」

「えー、信じられない」

「あー、でも荻町展望台には行ったよ」

「展望台?」

「そう、荻町が見下ろせる丘。すごかったなぁ、別世界だと思ったよ」

善文はもうそうとう眠そうである。



そこへ女将が通りかかって、聞いた。

「明日はお二人とも五箇山ですか?」

「あ、私、違います。東京に帰らないと。バスの時刻表ありますか?」

「ああ、それなら役場のかっちゃんが朝から岐阜にみえるって言ってた

し、頼んでみてあげるわ」

「すみません」

女将はかっちゃんとやらに電話をしてくれた。

「乗せてってくれるって。朝8時に出るけど、構わんかって」

「大丈夫です、8時に出ます」

肘枕もやめ、すっかり囲炉裏端に崩れていた善文が、聞いてもないのに

「僕も8時に出ます。僕は五箇山に行きます」

と答えていた。いや、もしかしたら寝言かもしれない。



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【2007/12/29 17:21】 | 桜(白川郷編) | トラックバック(0) | コメント(0) |
桜 -4-
荘川を出ると、車は川と崖に挟まれた2車線の細い道を辿った。

ここを抜ければ、合掌造りの村である。

この狭い道が白川を陸の孤島としたならば、この道は過去への

タイムマシンだ、と詩織は思った。

善文も黙ってハンドルを握っていた。善文は白川郷へ行ったことが

あるのだろうか?そんなことを考えながら、善文の顔をちらっと

見た。道のずっと先を見る善文の瞳は、既にできあがった番組を

眺めるかのように落ち着いている。公家はこんな田舎には

やって来なかっただろうな、と思ってつい詩織は笑った。



トンネルが続いた。そして幾つめかのトンネルを抜けたとき、

視界がぱっと開けた。道の脇に、合掌造りの家が顔を出した。

「うわぁ」

詩織は思わず声を上げた。そしてシートから少し腰を浮かせて、

道の先にある白川の村を待ってましたとばかりに見回した。

「ふっふ」

善文が目を細めて笑った。

「立っちゃ、危ないよ」

「だって!」

詩織は興奮して声を出した。

「本当に、こんな村があるなんて思ってみなかった。すごい!

私たち、箱庭に入っちゃったみたいじゃない?!」

「ほっほ」

善文がさらに大きな声で笑った。



車は交差点に来ると右側にウィンカーを点滅させた。

「さて」

善文は普段の顔に戻って聞いた。

「僕は右に行くけど、あなたはどうする?」

「あ…」

詩織ははっと我に返った。どっちに行こうか。決めていない。

「ここを右に曲れば村の中心だけど、そっちまで行っていい?」

詩織は両手を振った。

「ここ、ここでいいです。ここで降りるから」

「そう」

詩織はシートベルトを外し、車の外へ出た。交差点の真ん中。

それでも車は一台も見当たらなかった。

後部シートを開け、詩織は荷物を全部出した。けっこう、重い。

こんなものを持って一日歩くかと思うと、ぞっとする。

荷物を全部背負うと、詩織は車の中にぬっと首を入れて

「ありがとうございました。健闘を祈ります」

「そちらこそ」

善文は笑って答えた。詩織が車のドアをばんっと閉めると

善文のレンタカーは右へと曲って行った。



「さて。どうすべぇ」

詩織は交差点で一人ごちた。ぐるっと見ると、どこもかしこも

合掌造りの家である。思っていた以上に家は大きい。

思っていた以上に、屋根の茅は勾配がきつかった。

「これ、どうやって造るのかしら?やっぱりひと?」

呟きながら荷物を持ち直すと、やはりどこかで取材の作戦を練る

必要があると思った。

とりあえず近くにある喫茶店に寄ってみる。



鞄の中から観光マップを取り出す。今、自分がどこに居るのか

確認する。

「うわっ。宿とはかなり離れてるわ。厳しいなぁ」

姉さんかぶりをしたおばさんがお茶を持って来てくれた。

詩織は店で一番おすすめだという定食をオーダーした。

料理が来るまでに、取材の計画を立ててしまおうと思った。

宿に行く途中に、国の重要文化財「和田家」がある。

まずはここに寄ることに決めた。

「明善寺も押さえどころよね」

そう言っているうち、料理が運ばれてきた。

「え?」

割り箸を割ろうと待ち構えていた詩織の前に置かれた料理は、

幾つもの小皿に盛り付けられた、佃煮、煮物、甘露煮。

「食事って、いつもこんな感じなんですか?」

思わず姉さんかぶりを見上げる。おばさんはにこっと笑って、

「白川は冬が厳しいでしょう?こうして保存の効くおかずが

いいのよ」

詩織は改めて盆の上を見下ろす。

「ほら、まずは食べて御覧なさい」

おばさんはからからと笑いながら厨房へ戻って行った。

「ふうん」

詩織は山菜の漬物に箸を伸ばす。見た目より歯ごたえは

しゃきしゃきしていた。

もうひとつ、箸でつまむと

「お前たち、東京では定食の添え物だったかもしれないわよ」

しかし、添え物を全部平らげると、充分すぎる満足感を得た。



「さて」

食事を終えて取材へと向かう。イラスト化された観光マップでは

どこを歩いているのか分からなかった。

「これ、道かしら?」

重い荷物に改めてカメラマンの憎ったらしい顔が思い出される。

 

詩織は国重文「和田家」に入った。外では見かけなかったが、

中には他にも観光客が居た。それにしても、紅葉にも早いこの季節、

観光客は断然少ないのだろうと思った。



そのあと明善寺に寄り、鐘楼を眺め、それから今夜の宿「かんじゃ」に

足を運んだ。

「かんじゃ」の周りには何もなく、また人影もなかった。

「すみませーん」

声をかけてみるが、人が出てくる気配もない。

「おかしいなぁ」

「かんじゃ」の裏にも回ってみたが、誰も居ない。

「畠仕事かしら…。荷物だけでも置いて行きたかったのになぁ」

詩織はまた来た道を戻った。



バス通りを散々うろうろした挙句、夕方の5時頃になって、ようやく

詩織はもう一度「かんじゃ」に戻った。今度こそ、人が居た。

「いらっしゃい」

かわいい感じのおばさん…詩織とは10歳くらいしか違わない?

が出迎えてくれた。

「お連れさんはもうお着きですよ」

「え?」

あ!しまった!カメラマンの分、キャンセルし忘れてる!

あら、じゃあ「お連れ」さんて?

そう言えば!

詩織は囲炉裏のきってある部屋に荷物を置くと、くるりと入口に

駆け戻り、玄関の戸を開けて左の道路に目を向けた。

やっぱり!

そこには白い軽が止まっていた。来るときに目に入ったはずなのに

そのときは疲労のあまり、レンタカーが認識できなかったのだろう。

「どうされたんです?」

「かんじゃ」の女将は笑いながら、一緒に入口まで出て来た。

「あれ、東京から来た男性の車、ですよね?」

「そうです。だからお連れさんのじゃないかと?」

「あ!」

今度は囲炉裏から声が上がった。振り返る詩織。

そこには白いTシャツに紺のスウェットパンツ、首にタオルをかけた

善文が立っていた。



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【2007/12/29 17:19】 | 桜(白川郷編) | トラックバック(0) | コメント(0) |
桜 -3-
車は国道156号を北上して行く。



「あの…」

詩織が沈黙を破って聞いた。

「田辺さんって、NHKグループの、どこですか?」

「EP」

NHK-EP。聞いて詩織はますます自分の不運を呪った。

NHKグループの中で最も素晴らしい作品を作る会社。

少なくとも詩織はそう思っている。

「知ってる、EP?」

「もちろんです。強敵ですね」

善文は笑った。

「強敵?うちが?そうでもないよ」

「嫌味ですか?」

「違うよぉ、いやだなぁ、ふっふっふ」

善文は笑うとますます公家みたいだった。



郡上八幡右折の道路標識が見えた。詩織は善文の肩越しに

低い丘の上にある街を眺めた。古い歴史のある城下町。

独特の文化を今に伝える街。詩織はその特異性が

空港のスクリーンに映えるのではないかと狙った。

しかし無情にも、善文の車は郡上を通り抜ける。

詩織には足が無いのだから、仕方がないな… 最悪、

ネットで調べた分だけで番組を企画しよう…



「佐倉さんは、もうコンテ描き始めてる?」

「え?!」

善文の問いに詩織は驚いた。まだ「日本の美」で表現する

テーマすらまとめられていない。

「あれ、まだですか?」

善文は意外という声を出した。

「白川郷へは取材で行くんじゃないの?」

その通りだ。取材に行くのだ。しかし目的があるわけでは

なかった。とりあえず絵になりそうな世界遺産に行けば、

何とかなると思って飛び出して来た。



善文は詩織の心の奥を覗き込むかのような、黒い瞳で

「テーマが無くて取材しても、いい情報は得られないよ」

詩織は顔から火の出る思いだった。恥ずかしかった。

たぶん年下なのに、やっぱり天下のNHK-EPは違う。

詩織は上ずった声で、話題を変えた。

「田辺さんは、NHK受信料ちゃんと払ってますか?」

「ほっほっほ」

善文は前より大きな声で笑った。

「私はちゃんと払ってますよ、銀行引き落としで」

「結構、結構」

善文は何度も首をたてに振って笑った。



車はそのまま国道156号を北上した。車のほとんどが

158号へと分岐して行った。



道は途端に寂しくなった。詩織が滅多に目にすることの

ない、昔ながらの民家。やはり田の稲は刈り取られている。

詩織は渋谷のハチ公前の交差点を思い浮かべた。

まっすぐ歩くことすら難しいくらい、人であふれるスクラン

ブル交差点。肩や鞄がぶつかり合う人ごみ。

「二匹目。さっきからすれ違うのは、犬だけです」

詩織の考えていることが分かったのか、善文が笑って言った。

「ちょっと、寄って行きたい所があるんです」

善文は道路標識を気にしている。

「はぁ」

ヒッチハイカーの詩織には断る権利は無かった。



車はこの辺りにしては珍しい、コンクリートの建物の

駐車場へスルスルと入っていった。

「村役場?」

「今は高山市ですよ、ここも。市町村合併でね」

善文は車を駐車場に止めると、チノパンのポケットから

携帯電話を取り出して電話をかけた。

「NHK-EPの田辺ですが、今、駐車場に着きました」

さっと電話を切ると、シートベルトを外す。

それをじっと見ていた詩織の方に顔を向けると、

「予定がなければ、一緒に行きますか?」

詩織はここで善文が何の取材をするのか見当もつかなかった。

「はい…」

車に残っていても退屈そうだから、詩織は一緒に行く

ことにした。善文の取材にも興味があった。



車から降りると、善文はビジネスバッグだけを取って

ドアを閉めた。詩織も、ノートPCが入っている鞄だけを

取り出した。バンっとドアを閉める。

そこへ建物の中から、小柄で人の良さそうなおじさんが

ころころと走って来た。

「やあやあやあ、田辺さん」

おじさんはYシャツ、ネクタイに茶色の毛糸のチョッキを着ていた。

「遠いところ、わざわざどうも」

おじさんはニコニコしている。詩織のことは気にもしていない

様子だ。

「さあさあさあ、どうぞどうぞ」

「お忙しいところをすみません」

善文はタートルネックの折り目を直しながら建物へと入っていく。

詩織もそれに続こうと歩きかけ、ふっと気になって車を振り返った。

白い軽のナンバー。「名古屋のわ」レンタカーだ。

善文はこのコンペを一人で担当しているのだろうか?

詩織は不思議に思いながら、小走りに建物の中へと続いた。



建物の中に入ると、職員がいっせいに顔を向けた。

まるで珍客でも来たという風だ。その目は興味を示している。

チョッキのおじさんは相変わらず嬉しそうだ。

もしかして、善文の身内なのではないかと思い始める。

チョッキのおじさんが

「こんな田舎にNHKが来るってもんで、みんな緊張してます」

と、二人を応接室に通した。善文は優しい笑顔を作って

「NHK-EPの田辺善文です。今回は取材の協力、感謝します」

名刺を持って腰を折った。

ああ、やっぱり身内なわけではないのね。

チョッキのおじさんは緊張した表情に変わって

「飛騨荘川観光協会の長屋です」

と名刺を出した。腰を折った善文とちょうど高さが同じなので

詩織はくくっと笑った。

「さあ、どうぞ」

長屋さんは嬉しそうな笑顔に戻って、二人に席を勧めた。



「荘川桜でしたね」

詩織が出されたお茶に手を出していると、二人は話を始めた。

「はい」

「あの移植は大変だったと聞いとります」

荘川桜?詩織にはまったく聞きなれない言葉だった。

「はい。記録ビデオを観てきました。老木だったんですね」

「そうです。根がつくまで大変で、移植してからも何日も

人が見張っていたといいます」

「本当なら、桜は完全にダム湖の底に沈むはずだったんですか?」

ダム湖の底?

ダム湖の底?

桜がダム湖の底?

詩織は茶碗を持ったまま目を大きく開いて、今、目の前で繰り

ひろげられている会話に惹きこまれた。

「そうです。御母衣(みぼろ)ダムの下に沈むはずでした。村と

一緒に」

長屋さんは古い白黒写真を何枚も机に広げて、御母衣ダム建設と

それにまつわる話を始めた。善文は真剣にメモをとり、時には

写真を手に取り、長屋さんの話に頷いた。

詩織は机の上にあった、寺と桜の写った写真に手を伸ばした。

「あ、それが光輪寺にあったときの桜の写真です」

長屋さんが詩織に言った。

「このとき、もう樹齢400年だったんですよね?」

善文は詩織の手の中の写真を覗き込むように言った。詩織は

善文に写真を手渡すと、善文は写真を受け取り、食い入るように

それを眺めた。

「村がなくなっても、桜だけは残そうと…」

長屋さんの顔は少し寂しげだった。

「桜を残したのは、村があった証拠というか?」

「さあ、そういうつもりであったかどうか。ただ、桜を助ける

のに、みんな真剣でした」



20分ほどで長屋さんへの取材を終えると、善文は桜を見に行きたい

と行った。

「ええ、ええ、ぜひ見とってください」

迷う道ではないというので、長屋さんとは観光協会で別れることに

なった。長屋さんはまた駐車場まで出てきて、車が車道に移ると

深く頭を下げた。善文も詩織も、車の中で軽く頭を下げた。



「いい話が聞けたでしょ」

善文が言う。

「はい」

詩織は素直に答えた。

昔、この谷には村があった。戦後日本の経済勃興期、どうしても

安定した電力供給が必要であった。電力会社がダム建設の計画をした

とき、谷にあった200近い世帯は湖の底に沈むことになった。

住民の激しい抵抗はあったものの、そこには世界でも有数のロック

フィルダムが完成した。

谷の底に沈むはずであった荘川桜2本。ともに樹齢400年を越える

老木であったが、高低差50メートルの丘の上に移植された。

そうでなくても大変なのに、400歳を越えた老木を移植するのは

簡単ではなかった。桜は最小限ながら枝を払われ、まるで瀕死の

老人のような格好で丘の上に運ばれたと言う。



善文は荘川桜の下で車を止めた。

後部シートから三脚付きのカメラを取り出し、桜を撮り始めた。

大きく枝を張った桜は、その枝を何本も支柱に支えながら、それでも

堂々と立っている。

詩織は桜のすぐ下に広がる御母衣湖を眺めた。

この下に、村があったのだ。詩織は胸が締め付けられる想いだった。

「村は救えなかったけど」

善文が言った。

「え?」

「村は救えなかったけど、桜は助けたかった。

ふるさとの象徴だったんだろうな、この桜が」

詩織は善文の言葉をかみしめた。

「残したい、そういう気持ちが世界遺産なんじゃないかな」

「え?」

「そう思わない?」

善文はカメラを持ったまま立っていた。

詩織は黙って頷いた。



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この物語はフィクションです。実在する人物・団体・組織とは一切関係ありません。
【2007/12/29 17:18】 | 桜(白川郷編) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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